マイク1本、ギター1本、カメラ1台。格闘する様に完成したMOROHA「其ノ灯、暮ラシ」特別インタビュー
阿部氏自身がMOROHAの音楽に「なあ、お前はこんなもんじゃないだろ」と焚き付けられ、それが自身の仕事に対しての衝動になっているというエピソードから始まり、MOROHAが結成から今作「其ノ灯、暮ラシ」が完成するまでを語りおろしたインタビューになっている。
「其ノ灯、暮ラシ」は、昨年の「MOROHAⅢ」のリリースツアーの4ヵ月間の中で起きた、様々な人たちとMOROHAの音楽の交差点を記録したドキュメンタリーDVD。監督であるエリザベス宮地が、MOROHAのライブ会場で出会ったファンの生活とMOROHAの楽曲とがどのように共鳴しあっているかを克明に描き出している。
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なあ、お前はこんなもんじゃないだろ。
コピーライター 阿部広太郎
打合せの時間が近づく。たぶん、おそらく、きっと、正解に近い案は出せている。このままひと息ついてゆっくり会議室に向かうこともできる。たとえそれが正解から外れていて、打合せ相手がすこし曇った顔をしたとしても、会話をしながらうまく軌道修正して、なんとか着地することもできるだろう。どこか逃げ道を探している自分に直面した時。なあ、お前はこんなもんじゃないだろ。胸ぐらを掴むような声が聞こえてくる。
思えば、言葉や企画を考えるコピーライターの仕事をはじめて、10年近くになる。20代、駆け出しの頃は不器用そのものだった。毎回、ああでもないこうでもないと寝食を忘れて打ち込んでいた。いつもファミレスの苦いアイスコーヒーを飲みながら、答えの見えない迷路をさまよっていた。努力がすぐに報われるほど、甘い世界ではない。案を出せども出せども、その考えが議論の中心になることはなかった。考えることはしんどい。それ以上に役に立てないのは虚しくなる。それでもこの仕事をやめたいと思ったことは一度もなかった。と、言ったら格好つけすぎかもしれない、弱気になったことはたくさんあった。でも、言葉で心を動かすコピーライターという仕事の魅力に取り憑かれていた。つづけていれば勘どころもわかる。あまり迷わず進めるようになる。器用になるとは、力の入れどころと抜きどころがわかることなのだと思う。仕事に向かう堅さもとれ、徐々に仕事を任せられる20代後半。そんな時だ、MOROHAと出会ったのは。
これが奮い立つ感覚というものなんだろう。弱虫になりそうな自分を認めてくれて、大丈夫まだまだ行ける、と背中をぽんと前に押してくれる。聞いて、聞いて、聞き続けて思った。MOROHAは焚き付ける。「俺たちは音楽で勝負してる。お前は何で勝負してるんだ」。思い出すのは、うまくいかなかったあの時だ。不器用なくせして、でかい夢を掴もうとしていたあの時だ。だから僕は、弱気を振り払う。打合せが近づこうと、それなりの案が出ていようと、足掻くことをやめられない。ぎりぎりになって思いついたことを、白い紙に走り書きをして、駆け足で打合せに行く。汗をかいて、必死になって、ダサいかもしれない。でも、これが自分なりの勝負の仕方だと思うからだ。一回切りの人生、正解の先にある、感動をつくりたい。そういう初期衝動をエンジンにここまで来たんだから。
MOROHAの映像作品「其ノ灯、暮ラシ」を語る上で、自分自身の話をしない訳にはいかないと思った。これは単なるライブDVDではない。映像作家のエリザベス宮地が、MOROHAの「なあ、お前はこんなもんじゃないだろ」という挑戦状を受けて、カメラ1台で勝負した130分間だからだ。MOROHAとエリザベス宮地の対バンとも言えると思う。真剣勝負をしている人にしか出せないヤバさがこの映像にはあふれている。エンドロールが終わった時、あなたは何を思うだろうか。この作品があなたに何を問い掛け、あなたがどんな勝負を仕掛けるのか、僕は楽しみでならない。
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6月14日(水)、MOROHAキャリア史上、初の映像作品がリリースされます。昨年から今年の頭に掛けて開催されたMOROHA III RELEASE TOURのドキュメント映像。これは、いわゆるライブDVDではありません。映像作家のエリザベス宮地が、ツアーに密着する中で見えてきた出会いと別れ、ライブと人生、それぞれの最初で最後の一瞬を繋ぎ合わせた、130分間の人間ドラマ。Red Bull Studios Tokyo Hallにて先行上映会が行われた翌日。MOROHAのこれまでと、これからも含めてインタビューを行いました。
—MOROHAは2008年に結成されました。アフロさんがUKさんに「やろう」と声を掛けた時のことを良く覚えていますか?
アフロ:当時のことを振り返って思い出すのは2つあります。ひとつは千葉でUKにやろうと話をした時と、もうひとつは町田でバンド名を決めた時ですね。
千葉に「BELT」というクラブがあって、そのイベントの時に、当時バンドを組んでたUKに対して「どうなの?」と話した後に、UKはぐずぐずっとしたことを言っていて、「だったら、そっちも並行してやってもいいけど、ふたりで力入れてペースゆっくりでもいいからやってみようぜ」って話したんですよね。その時、俺は俺で、就職して音楽は趣味でっていう風に逃げてたところもあって、これでちゃんとやるって決めたんです。
UK:クラブイベント終わりか、その最中に抜け出して、コンビニの前で座り込んで話した覚えがありますね。その時、やらなきゃなという腹くくった感じがありましたね。
アフロ:でもまあ、その瞬間にくくれたかというより、「とりあえずやりたい、それがいちばん楽しそうだから本気でやろうぜ」というくらいでした。そこから曲が仕上がって、人前でさらして、評価してもらって、だんだんこれは面白いことが起きるかもというわくわくと同時に、決意が固まっていくという感じだったと思います。
—MOROHAという名前を決めた時はどんな話をしたのでしょうか。
アフロ:当時UKが町田に住んでて、お互い酒が弱いのに、缶チューハイを2本ずつ飲んで、結構酔っ払って。
UK:そう町田の109の前に座り込んで話しましたね。
アフロ:漢字が好きで、「諸刃」の他にもなんだったかな、「飛車角」みたいなのもありましたね。硬派な漢字の世界観。
UK:恥ずかしいのばっかりで、まあ諸刃かなって感じで決まりましたね。
アフロ:ただ漢字で「諸刃」だとイメージが固まり過ぎちゃうかなって話して横文字で「MOROHA」にしたんです。
—「MOROHA」としてはじめてステージに立った日のことを教えてください。
アフロ:池袋ライブハウス「マンホール」だったと思います。いちばん印象深いのはUKがギターを弾くためのイスをスタッフさんから貸してもらえなかったんです。
UK:そう、今のあぐらスタイルの原点なんです。
アフロ:俺はテンション上がったんです。「イス貸してくれないから、俺アグラでいくよ」ってUKが言ったときに、それカッコいいじゃん、お前ずっとそれでいけよって、思ってましたね。
UK:それで後にひけず、今まで続いてるんです。
—2008年に結成してから今年で9年ですね。あっという間でした?
アフロ:長かったですね。濃かったなあと思います。
UK:MOROHAをはじめてから、2年くらいで1stのアルバム「MOROHA」は出したんです。出すまでの期間がものすごく長く感じだけど、今思えばそこからの期間の方が長いですね。
アフロ:UKは当時、大学生だったんです。俺は2年制の学校に行ってたから先に卒業して、ちょっと働いて、会社を辞めて、バイトしながらUKの住んでる町田に、週末だけ会いに行って、夜から朝まで音楽をつくって。MOROHAをやっている感覚はもちろんあったけど、今よりはないよね。UKは就職活動もしてたからね。当時、不安だったんだろうなあと。
UK:なんとか食い扶持を探すという感じだったんです。ただ、1stを出した時から実感もちょっとずつ湧いてきましたね。
アフロ:曽我部恵一さんにこの業界にいていいよ(注:2010年の「出れんの!?サマソニ!?」にエントリー。審査の過程において曽我部恵一から「MOROHA、本当にヤバい。事件だと思います」と評され、曽我部恵一賞を受賞)って言われてるような気がしましたね。そこから2ndを出すまでが結構しんどかったですね。
—何がしんどかったのでしょう。
アフロ:うまくいかなかったですね。結果がついてこなかった、とにかく結果がでなくて。
UK:ちょっとずつはプラスにはなってますけどね、曽我部恵一氏にフィーチャーされて、CDが出て。普通のバンドマンのセオリーじゃないですけど、そういうものを踏んでこなかったので、地の力がぜんぜん無かったんです。2ndまでは、それを取り戻す3〜4年という感じでしたね。
—風向きが少しずつ変わったのはいつでした?
アフロ:2013年、2ndの「MOROHA Ⅱ」が出た時ですかね。CDを出す時っていうのはこれでぜったい何かが決定的に変わるはずだ!って思うんです。でも、リリースして、ツアーが終わると、またちょっと前のモードに戻ってくる。あれ、やっぱりまだここかあって感覚もあります。
UK:ちょっとミュージシャンらしい話をすると、「三文銭」をつくれた時ですね。これが確実に基盤になっていくというか、ちゃんと音楽でMOROHAを表現できたはじめの曲だったんですよ。これをファーストアルバムのツアーの時に歌ってたんです。それが最終的にアルバムに入ったのが2013年で、前に進むための曲が出来たというのは感じましたね。
—2013年のセカンドから、2016年のサードまでの間はどうでした?
アフロ:そこからは「しゃべくり007」で生田斗真さんに紹介してもらえたりとか、群馬ロックフェスやメトロックに、国内の大きいフェスに出れたり。いちばんの変化は、自主企画のライブをやりはじめたことですね。「自分たちが戦いたい相手とやろうぜ」という思いで対バンをやりはじめたんです。
—MOROHA Ⅲのリリースツアー、約四ヶ月で全41公演。この数、尋常じゃないですよ。
アフロ:これで最後くらいの気持ちだったんですよ。ブッキングはぜんぶ自分たちでやっていて、やっぱり疲れちゃうから、これで最後にしたい、次のツアーからは本数絞って、キャパを大きくしたいと思って、悔いの無いように、自分たちが素敵だと思うバンドとは全部やっとこうくらいの気持ちでしたね。
UK:このツアー以外にも呼ばれたライブを10本くらいやってました。
アフロ:売れるって決めてたんです。売れたらこんなツアー組めないから、これが数で勝負する最後だと思ってました。
—MOROHAのライブは、相手を倒しにいく、対戦対決というのが鮮明ですよね。
アフロ:俺たちの個人的なモチベーションが上がる対バンにしたいというのはもちろんなんですけど、回ごとにバラバラな客層というのがすごく大事だと思っています。同じような格好して、同じような盛り上がりしてる人たちが来るようになったら俺はもう終わりだと思ってるんです。それはそのジャンルが好きで来てもらっているという感じで、それならそのジャンルの正解を叩き出すライブになっちゃうと思います。
そうじゃなくて、おじいさんも、若い子も、イケイケなヤツも、暗いヤツも、モノトーンの服を着てるヤツも、原色の服を着てるヤツも、みんな違う顔をしている、それがお客さんの本来あるべき姿だと思うんです。それ故に、いろんな場所にライブしなくちゃと思うし、色んなバンドを呼んでいるという感じですね。
—MOROHAⅢのライブツアーはまさしくそれを証明してますよね。今回、映像に収めるために、エリザベス宮地さんに声を掛けたきっかけは何だったんですか?
アフロ:宮地さんにお願いした理由は、俺たちがすごく宮地さんことを信頼しているし、彼の仕事が素晴らしいというのが第一にありました。宮地さんはどんなところに行っても、すぐ馴染んで、相手の本性を引き出せる人じゃないですか。
UK:それにフットワークの軽さもあるし。
アフロ:発想がぶっとんでるし、俺たち発信でこうしてくれと言わなくても、どうすれば良くなるか提案してくれるでしょ、あの人はそれが本当にすごい。
—ツアーがはじまる前に、宮地さんとどんな打合せをしましたか?
アフロ:俺はどちらかというとライブを軸にして、そのまわりの日々という想定だったんですけど、真逆になりましたね。UKが、それはつまんないから軸をドキュメントにして、MOROHAのライブがそこに差し込まれていくというのがいいよねと言ったんです。
UK:宮地さんの強みってドキュメントの部分だと思うんです。ライブDVDはいつでも撮れるので、ドキュメントってその時、曲とかは変わらないけど、まわりの環境はその時しか撮れないので、MOROHAはそっちの方がおもしろいって思ったんです。
ライブで言うところの対バンとワンマン、この違いと多分一緒です。ワンマンはやろうと思えばいくらでもできるけど、対バンはその時々の化学反応的なものが楽しいんです。
—MOROHAとエリザベス宮地監督の対バンですね。その化学反応を起こすなら、ライブで出会う人の人生を描くということですよね。試写された時どう思いました?
アフロ:やってくれたな、まんまと私物化してくれたなと。
UK:重い!(笑)楽しさのひとつもないですからね、俺のカラオケシーンくらいですよ(笑)
アフロ:MOROHAとして良いプロモーションになるとかならないとか、MOROHAがこれによって良い状況になるかとかわからないですけど、俺たちが関わる作品で、ちゃんと刺さるものができたからそれが嬉しかったですね。
それに、商売下手だなって思いました。俺たちも下手だし、あの人も下手だなって、それでやっぱり商売に出来たら最高だよなってやってるから、それが良かった。
UK:嬉しいのは宮地さんファンで、MOROHAを知ってくれた人も多いんですよね、それがすごく嬉しいです。映像ファンに響くと良いなと思います。
—昨日の試写会で、アフロさんが仰っていた「個人的な気持ちがいちばん人に伝わる」ということですよね。宮地さんのことを知らなくてもぐっとくると思います。
UK:カメラのことなんてわからなくても、「カメラに甘えるな」という言葉が出てきて、あれでちょっと泣きそうになるんですよ(笑)俺自分でMOROHAをやってるのに、「MOROHAに甘えるな」という言葉に、その人の気持ちになっちゃうんですよね。宮地さんの気持ちになっちゃうんです。あれすごいよなあ。
—「其ノ灯、暮ラシ」というタイトルと、映像の中身の繋がりがすごいです。
アフロ:ここが伏線になって後半に繋がってるんだって驚きます。俺が十代の頃に書いた「闘志」という色紙が、宮地さんのおじいちゃんの「自己との闘い」という書き初めに繋がって。その「たたかう」が、闘志の「闘」で。そこで、ふわーっていう感覚になったり。人生って伏線に溢れてるんだなって。それに気づく人と気付かない人がいるだけで、気付いた人がそれを作品にできるし、気づかない人はやっぱり気づかないし。
UK:わかりやすいところの映像でいえば、宮地さんが飛行機で東京に戻る時、空の上から見える街の光景をバックに「其ノ灯、暮ラシ」のタイトルが出てくるじゃないですか。そこに暮らしがあって、灯火があるんだよという、宮地さんすごいなって。
—これから見る人にどんな気持ちで見てもらいたいですか?
アフロ:さっき言った通り、この作品には、自分しか気づけ無い伏線というのが無数に張られていて。これは伏線だって、気づけたらそれってつくり手が意図してなくても、まぎれもなくあなたにとっては伏線で。それを見た人同士で共有して、「ああ本当だね」「そうだね」って見てもらいたいです。力いっぱい見てもらえたら楽しいし、食い入るように見れる作品だと思います。
UK:入口はみんなMOROHAを見たくて、DVDを買うと思うんですきっと。最終的には、自分との闘い、自分と向き合ってるというのがこの作品の肝だなと思ってて、いい意味ですごく裏切ると思うし、ダメージもでかいと思うけど、そういう作品ってあんまりないので、覚悟して見て欲しいというのがありますね。
—収録されているMemoriiと30/20について聞かせてください。Memoriiは、思い出のmemoryのyをiをふたつにして、「memorii」にしてますよね。これは大切な人と人との間にということで、iとiにしてるんですか?
アフロ:あーそれ素敵な気付きです、それちょっと使わせてください。
違うんですけど、そういうことだと思うんです。それはそれで正解だと思うし、ラップの醍醐味ってそこだと思うんです。言葉の数が多いだけに、いっぱい勘違いできるんです。いっぱい勘違いして、自分なりの物語に当てはめて、正解を出すというのでぜんぜん良いと思うんです。
ちなみにMemoriiというのは、大事な人のひと目盛りにという歌詞から、Memoriと考えて、ただ「メモリー」の意味を重ねられるといいよねってなって、iをもうひとつ足したんです。
—30/20は、LOST IN TIMEの名曲「30」のリアレンジですね。いま20代と30代の境目にいて、ふたりが年齢について思うことはありますか?
UK:僕はあんまり無いですね。ただ、LOST IN TIMEの「30」、僕はもともと知らなかったんですけど、この曲を聞いた時に、めちゃくちゃ感動したんです。20代前半から、後半にかけて、思うことがちょっとずつ変わってきて、良かれ悪かれ許せるようになってきたり、心が広くなってきたり、そういう思いをぎゅっと歌詞の中にあるのが感動してしまいました。やっぱり徐々に変わってるんですかね。
アフロ:俺は「30」を聞いた時に、LOST IN TIMEの海北さんに、「本当にこんな風に悟っちゃってるんですか?」って聞いたんです、そしたら「アフロ君、こうやって思う瞬間もあるけど、ふざけんなこの野郎、天下獲ってやる、俺がいちばん若いんだって思う瞬間もあるよ」って言われました。
いま10代の気持ちだって書けるし、今回俺は20代の気持ちを歌ったけど、どの時の自分を切り取るかっていうのがアーティストなんだと思いました。
—最後に、来年MOROHAは十周年を迎えます。どうですか心境は?
UK:割とそういう節目に対しての感覚が欠落してるんです(笑)5周年のときも、5周年だとも思わなかったし、でも大事ですよね。
アフロ:ファーストの時に歌った「恩学」という曲で、「音楽より大切な人 音楽で幸せにしたい」ってあの時歌ってた若い気持ちと、本気で今それをしなくちゃいけないという幸せな切迫感があります。
昔の曲をライブでたくさん歌っていて身に迫るものがあって、それこそ伏線じゃないけど、あの時俺が言ってたことってこういうことだったんだと本当に身に沁みますね。
—十年って長い年月ですよね。
UK:これまでの十年考えたら、この先十年はもっと長いですよね。この先の十年はやばい、修羅だと思うな。想像したくない(笑)。40歳でこれやる?って思いますよ。でも20歳で結成したときに30歳でこれをやっていると思うかですよね。でもやっててよかったと思いますね。
アフロ:幸せなのは格好いい先輩がたくさんいるってことです。俺たちが恋焦がれて対バンする先輩はどんどんかっこよくなってるから、格好良くなり続けるという希望はあるんです。人間ってのは強いんだって思います。
(了)