乃木坂46らの楽曲を手がけるAkira Sunset、創作活動の源は“人との会話”「新たなヒントが生まれる」
作詞・作曲家、ミュージシャンとして活躍するAkira Sunsetさん。アーティスト、アイドル、アニメやNISSAN、NTT Docomo、JA全中等の企業系楽曲まで幅広く手掛けられています。
乃木坂46へ作曲した『気づいたら片想い』や作編曲した『今、話したい誰かがいる』『ハルジオンが咲く頃』が年間オリコントップ10入り。そして、作編曲した乃木坂46「いつかできるから今日できる」、AKB48に提供した「ジャーバージャ」は共にミリオン超えの大ヒットを記録しました。
2018年にはトータル売上枚数が500万枚を突破し、5年連続でオリコン年間作曲家ランキングトップ10入りするなど、日本を代表するヒットメーカーの1人としても知られています。
また、HOVERBOARD Inc,代表取締役として後輩作家の育成にも取り組んでおり現在では13名の所属作家、30名を超える提携作家が在籍。J-popはもちろんアニメ、映画、ゲーム、企業、様々な案件を手がけます。
今回は、そんなAkira Sunsetさんに、2022年の音楽シーンについての見解や、コロナ禍での音楽活動について、またご自身の音楽活動についての思いなどを伺いました。
ーー2021年にも様々な楽曲が生まれました。2022年、国内外のミュージックシーンはどのように展開していくと予想されますでしょうか?
国内ではもっともっと多様な音楽が普及していくと思います。ここ2・3年でJ-popもだいぶ変わってきました。
今はボカロPが作り出した新しい音楽がJ-popのど真ん中に入ってきて変化が起こっています。そこに古来からある歌謡のメロディーが合わさっていくのが昭和生まれの自分的にはとても楽しみです。
世界ではHip Hopやそこから派生したK-pop路線、Dance Musicがますます盛り上がると思います。その一方で、コロナで出来なかったライブが復活してバンドブームが起こったら面白いなと思いますね。これは国内外問わずです。
ーー約2年のコロナ禍で音楽活動や制作状況に変化もあったかと思います。ご自身が感じられている一番大きかった変化はなんでしょう?
僕たちはコライトと言ってチームで曲を書くことが多いのですが、最近は集まって書くこともなくネットコライトが多かったのであまりコロナの影響はないと思っていました。
ですが、ちょこちょこ集まってはいたので、それがなくなるとコライト相手も固定されてくるし意外と意思の疎通が取れなくなりました。やはり会って話すってとても大事だなと再認識しましたね。酒を交わして音楽の話やくだらない話をしてることが新しい音楽に繋がってるんだなぁと実感した期間でもあります。
ーーご自身が代表を務めるHOVERBOARDでは、ライブ配信の事業も手がけられています。最近では少しずつリアルでのイベントやライブも増えてきましたが、配信という表現活動に変化はあると思いますか?
僕自身がコロナ禍で少し時間が空いた時にまずライブ配信をやってみました。
そこで「ファンに向けて歌う、話す、同じ目標に向かって走る」これがライブ配信の醍醐味だなと感じましたが、これってアーティスト活動とほぼイコールだなと思いました。そこで周りのアーティストに声をかけてライブ配信を勧めました。
リアルイベントが戻ってきてもライブ配信はファンやアーティストが戻るべきホームであることは変わらないと思います。
ーー自身の音楽観に影響を受けたアーティストやジャンルを教えてください。
中学時代、尾崎豊で音楽を覚え、シンガーソングライターに憧れて、高校時代からはHip Hopにも傾倒しラップを始めました。
Snoop DoggやWarren Gという西海岸のメローなラップスタイルと、日本ではZEEBRAさんの言葉の置き方を研究していましたね。
同時にサーフィンをしていた影響からHawaiiのレゲエも聴くようになりました。
ーー音楽の創作活動においてインスピレーションを受けるものはどんなものでしょうか?
やはり人だと思います。
人と話すことで新たなヒントが生まれるので、とにかくたくさんの人と会い話してきました。
コロナ禍ではそれが叶わず、中々創作意欲にも繋がらなかったので、本当にこのまま収まってほしいなぁと思っています。
ーー音楽に携わる中で一番喜びを感じる瞬間はどんなときでしょうか。
少し前までは自分が携わった曲が世に出ることが喜びでしたが、最近は自分が関わった人の曲が世に出ることが喜びです。
もっともっと仲間を作ろうと思います。
ーーキャリアの中でターニングポイントになった出来事や楽曲はありますか?
アーティスト、作家、作家事務所と色々やってきましたが、やはり今があるのは乃木坂46の「気づいたら片想い」の作曲をさせて頂いたお陰です。
ーーご自身が手がけた楽曲で「特に思い出深い曲」として挙げるとしたらどの曲でしょうか?
同じく乃木坂46になりますが「今、話したい誰かがいる」と言う曲です。
(共にプロデュースユニット・THE SIGNALIGHTSを結成した)APAZZIくんとコライトして表題曲に選んで頂きました。
中々通ることが難しいコンペながら、初めてコライトした曲が通り、その後、数えきれないくらい彼と曲を書くきっかけになりました。
ーーご自身もミュージシャンとして活動されていますが、自身の楽曲と提供曲とで作曲意識の違いはありますか?
提供曲の方がアイデアや引き出しが多く出せたので向いていると思いました。
アーティスト時代も自分のジャンル感を大事にしなきゃいけないのにすぐに飽きて全然違う曲を作ったりしちゃってました(笑)。
ーー音楽活動はもちろん、HOVERBOARDの代表、レコード会社のディレクター業務まで多岐にわたり、ご多忙かと思いますが、活動における1番のモチベーションはなんでしょうか?
僕を頼ってきてくれた人を笑顔にしたいです。
もっと多くの仕事をして多くの笑顔を見たいなって心から思います!
ーー今後、お仕事においてチャレンジしてみたいことや目標はありますか?
音楽に関わる事ならなんでもしていきたいです。
目標は今いる所属メンバーが、ずっと音楽に携わっていれるように絶え間なく仕事を作る事です。