中野雅之に関する記事一覧
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ブンブン中野 「ラストSg『LAY YOUR HANDS ON ME』は命を削って作った思い入れの深い曲。」スペシャイベント授賞式に登壇
スペースシャワーTVが主催する音楽とカルチャーの祭典「TOKYO MUSIC ODYSSEY」の一環として実施するアワード「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」が、3/7(火)東京国際フォーラム ホールAにて行われ、2016年の音楽シーンを総括し、様々な音楽コンテンツや活動で功績をあげたアーティストとクリエイターに感謝と敬意を贈る授賞式にて、BOOM BOOM SATELLITESが『特別賞』を受賞した。
2017.3.8 20:50
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“懸命に音を奏で続け生き抜いた”川島道行とBOOM BOOM SATELLITESの残した功績とは。グループの活動を振り返る
BOOM BOOM SATELLITESの川島道行が10月9日に逝去した、47歳だった。国内屈指のライブアクト・ブンブンのフロントマンの訃報はあまりに衝撃的で悲しいニュースとして音楽業界、ファンを超えて、世界中を駆け巡った。
その一方で、川島と近い立場にあるふたりは悲しみはもちろんのこと、それ以上に彼の人生を称えるようなコメントを出していた。ひとり目はユニットの相棒・中野雅之で、彼は「人生のゴールを祝福してあげてください」とTwitterで発言している。もうひとりは川島の妻で女優の須藤理彩だ。彼女は「運命を受け入れ、もがきながらも懸命に音を奏で続け生き抜いた」と所属事務所内の自身のページで川島についての談話を出している。ふたりが音楽に全てを捧げ、生き抜いたと語る川島とBOOM BOOM SATELLITESの活動について僭越ながら、そして簡単にではあるがこの場を借りて振り返ってみたい。
<彗星のように音楽シーンに現れたブンブン。フェス黎明期の音楽ファンのハートをがっちりキャッチ>
BOOM BOOM SATELLITESを初期から知るファンは、「初期の活動を経て、Fatboy SlimのDJツアーに同行、Aphex TwinやKen Ishiiらもリリースしたベルギーの名門レーベル『R&Sレコーズ』からデビューを果たす。そしてヨーロッパでフェスに多数出演し、Mobyのアメリカツアーに帯同し、凱旋帰国を遂げた。そんなスゴイ日本人ユニットがいるらしい」、彼らに対してそんな華々しいエピソードの数々が記憶されていたはず。
ブンブンが日本のフェスシーンの王道を歩んでいったことは運命だったのかもしれない。彼らが国内最大級の音楽フェス・フジロックフェスティバルに初出演したのは3回目の開催となる1999年で、ちょうどグループのデビュー時期ともほぼ重なっていた。同日にライブを行ったRage Against the Machine、Underworldという海外2大アクトの伝説的ステージのどちらかを目撃したファンにとっても、BOOM BOOM SATELLITESの出演は期待度の高いものだった。その夜のふたりは短い時間ではあったが深夜の出演に合わせたストイックでクールな彼ららしいサウンドを奏でていたと記憶している。
しかし翌年のフジロックフェスティバルにも出演した彼らは、そのイメージを一変させ、バンドサウンドを押し出したステージでモッシュが起きるほどに観客を熱狂させる。ビッグビート、デジロック…そんな当時の音楽シーンにおける最先端ワードと共に突如現れたBOOM BOOM SATELLITESだったが、彼らはそれだけのグループではなかった。ときにはジャズ的な即興(インプロビゼーション)も交えながら、ストイックなダンスミュージックとバンドサウンドの両面を自在に行き来できるところにこそ、彼らの魅力があったのだ。
<アンセム「Kick It Out」でさらに認知は拡大。アニメ作品との相性も抜群で人気は決定的なものに>
「デデッ!」。このカッコよすぎるサウンドにやられてブンブンを知った、ファンになったというリスナーは多いはず。グリコ「ウォータリングキスミントガム」、日産自動車「X-TRAIL」CMソングを始め、現在までバラエティ番組など様々な場面で耳にする「Kick It Out」はBOOM BOOM SATELLITESの代表曲に数えられる。彼らのサウンドはそのキャリアを通して企業、あるいは映画のイメージに合致することを理由にタイアップを「求められる側」にいた数少ないミュージシャンだったのではないか。
「Kick It Out」以外にも、ゲーム機・PlayStation2の発売と共に出たレースゲーム「リッジレーサーV」では疾走感のある名曲「FOGBOUND」「On The Painted Desert」が使われているほか、アニメ映画「アップルシード」に「DIVE FOR YOU」を提供、後述するラストシングル「LAY YOUR HANDS ON ME」も今年放送のテレビアニメ「キズナイーバー」のオープニングテーマだった。彼らのダンスミュージックとバンドサウンドを違和感なく融合した楽曲の数々は近未来や空想世界を描くゲーム、アニメーションや漫画原作の映画への親和性が非常に高い。またそれによってタイアップ作品の認知につながっていくのはもちろんのこと、結果としてバンドの認知も上がるというタイアップの好例とも言える幸福な相乗効果をもたらしていた。
<バンドが長く抱え続けた闇とそこからの脱却で見えた光>
BOOM BOOM SATELLITESは今年6月22日に発表した「LAY YOUR HANDS ON ME」をもってその活動を終了することを公式サイト上で発表した。理由は川島が長年患っていた脳腫瘍の後遺症などによるものだった。報道ではこれで5度目の再発ということだったが、近年のインタビューによると川島は1998年に発表したグループの1stアルバム『OUT LOUD』の段階ですでに脳腫瘍を発症していたことを認めており、病魔と闘いながら、そしてそれを隠しながらのミュージシャン活動だった。
しかし、2013年のツアーキャンセルという不慮の事態が起きるまで、そのことを一切出すことなく、ミュージシャンとしてのメッセージを発信し続けた点に彼らのプロ根性が垣間見える。ダンスミュージックとバンドサウンドを融合し、時代の先を突き進んだ先駆者的存在の音楽グループ=BOOM BOOM SATELLITESのメンバーは、一方で堅気で職人的アーティスト気質の塊のような古いと言われてもおかしくない側面を持ち合わせていた。しかしそれは、音楽活動とファンの存在が病気を乗り越えるための大きな光だったからとも言えるだろう。
<ブンブンらしさはそのままに「川島の声をどう活かすか」で180度転換したサウンドプロダクション>
2013年5月には初めての武道館公演も成功させるなど、上昇の一途をたどったBOOM BOOM SATELLITESの活動だったが、病気との戦いは続いていた。昨年12月の中野のツイートには「川島くん、メロディが覚えられなくなってきた。悔しいけどこれが現実だ。今ある曲を完成させられるか。いや、絶対に完成させたい。凄くいい曲達だからさ。一曲のリリック書くのに2ヶ月以上かかってる。でも川島くん、諦めてない。凄いよ。」とある。川島が病状に関係なく音楽にすべてを捧げていたことがうかがえるすさまじいツイートだ。そんな中野も大きな決断を下す。川島の病状ではなく、詞の内容や発声方法といった外面、そして内面両方の変化に合わせる形で『SHINE LIKE A BILLION SUNS』期には、サウンドへのこだわりから川島の歌をどう聴かせるかを重視するトラックメイキングへと変化していったことはこの時期のインタビュー記事などでも報じられている。後期ブンブンはサウンドの妙以上に、川島の歌を活かす作風へと変貌を遂げていたのだ。
BOOM BOOM SATELLITESの活動は終了したが、その作品はなくならない。これからも川島に思いを馳せながら、彼が生きたすべての証が刻み込まれている彼らの作品を聴き続けてもらいたい。それと同時にすでにMAN WITH A MISSIONやねごとのプロデュ—スが発表されるなど、日本の音楽シーンにとっても大きな存在である中野雅之が打つ次なる一手にも注目したい。彼ならきっとBOOM BOOM SATELLITESの偉大さをより証明してくれるような明るい話題をその創作活動を通じて提供してくれるはずだ。
命を燃やし続けてもなお、音楽活動に身を焦がした川島に大きな拍手を、そして中野の今後の音楽活動に心からのエールを送りたい。2016.10.23 19:36