宮崎薫、幼少期から抱いた歌手への“夢”と音楽のルーツを語る「CDプレイヤーは私の一番の友達でした」

2022.3.4 18:00

2012年から活動を続けているシンガーソングライターの宮崎薫さん。

音楽活動の傍ら、ラジオパーソナリティーも務めるなど幅広い活動をしていた彼女が、今年2月、世界で広く配信される動画配信サービス「Netflix」内の恋愛リアリティーショー「ラブ・イズ・ブラインド JAPAN」へ出演。その中で、自身の父親について言及したことによって、とても大きな注目が集まっています。

その注目の中、楽曲「Karma」を3月中旬にデジタルリリースすることを発表。また、そのミュージックビデオ制作のためのクラウドファウンディングプロジェクトを実施中であることがアナウンスされています。

今回は、そんな彼女に、音楽のルーツや音楽活動について伺いました。

 
ーー音楽に囲まれた環境で育った宮崎さんですが、一番影響を受けたジャンル・アーティストなどありましたら教えてください。
 
クラシック音楽、映画音楽、ポップス、ロック…、たくさんのジャンルを聴いてきましたが、人生で一番聴き込んだアルバムはBackstreet Boysの「Millennium」と「Black&Blue』でした。

当時私はまだ10歳11歳でしたので、かなりおませな小学生だったと思います(笑)。周りに洋楽を聴いている子は少なかったですし、2000年代はとくにJpopシーンが盛り上がっていた頃だったので、少し変わった小学生だったかも知れません。

通学に1時間かけて通っていたので、CDプレイヤーは私の一番の友達でした。CDをたくさん入れたケースとプレイヤーをリュックに入れて、その時の気分でアルバムを選ぶのが通学時間の楽しみでした。

今では単曲で音楽を聴くことが当たり前の時代になりましたが、アルバムを通して1曲目から最後まで聴いていた頃が懐かしいです。聴き込んだアルバムは、次に流れる曲の歌い出しのタイミングやキーまで、完璧に身体が記憶していました。

そんな時代にコーラスグループにどハマりしていたので、メロディーラインが綺麗なものを好んで音楽を聴くことが多かったように思います。今でも曲作りをする時はメロディーラインに時間をかけることが多いので、やはり私の音楽人生の中でこのルーツは切り取れないものだと思います。
 
ーー大学時代からピアノとギターで作曲を始められたとのことですが、当時からプロ志望として曲作りを意識されていたのでしょうか?
 
はい。「歌手になりたい」という夢は幼稚園の頃からありました。小学生になっても中学生、高校生になっても音楽の道へ進みたいという意志は一度も変わったことがありませんでした。高校1年生のとき、初めてバンドを組みました。その時はキーボードとコーラスでサポートメンバーという形でしたが、ライブの空間に魅了され”私も歌いたい”という気持ちが強くなっていきました。

そこから弾き語りを練習する様になり、最初は好きなアーティストの楽譜を買って練習するところからでしたが、オリジナル曲を作り始めた頃からはプロを目指して大きいステージで歌いたいと意識していました。
 
※宮崎の崎は立つ崎。

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