十五少女、生き(息)苦しさを赤裸々に綴ったシネマティックE.P.「HATED」をリリース
15人の仮想少女からなる『十五少女』の1st E.P.「HATED」が、9月1日(彼女たち曰く終わらない夏の終わりである8月32日)リリースされた。
新進気鋭のボカロP『かいゑ』プロデュースによる5作連続先行シングルに、ボカロ・シーンを牽引しながら自身もアーティストとして活躍する『ピノキオピー』の「ノンブレス・オブリージュ」のカバーをボーナス・トラックに加えた6曲 / 約25分。それを聴き終えた後に得られるのは、映画館を出た後の眩し過ぎる空の蒼白さのようだ。
今作は、一貫して『死(HATEDというタイトルはDEATHのアナグラムになっている)』がテーマとなっている。曲間・曲中に楽曲が奏でる物語に没入するためのトリガーとして機能するサウンドスケープ(環境音)が配置され、まるで一本の長編映画のようなノンストップ・ミックスだ。
物語は、大切な “キミ” を亡くした主人公の抒情から始まる。そこには死に対する本質的な諦めが漂っている。本当の死とは肉体が消え去ることではなく、残された人々の心の中から忘れ去られること。『忘却』という残酷な真実の前で主人公が力無く空に祈る『願い(せめて空くらいは毎年忘れずに泣いて=雨を降らして欲しい)』が、切ない。
次曲では、空に吸い込まれるように屋上へと駆け上がっていくキミの回想が描かれる。その目に “今日だけ” は非常に美しく見える日常。主人公の普段が過酷だった証しだ。「星や鳥だった頃を思い出す」と自身に言い聞かせながら軽やかに登る階段は、天国ではなく生に続いていると信じたい。
そして3曲目。今度は、先立った側から『忘却(自分が忘れ去られていく事)』に対する『諦め(許し)』が語られる。「振り向かないで」と主人公を突き放すキミ・・・人は皆、忘れ去る事で再び前を向いて生きて逝ける。そして、後半、本作は音楽が描くことのできる限界を超えた悠久に挑戦していく。遠くの宇宙で起こる事、この星が生まれた刹那から人がまだ人でなかった時代の事、火や鉄を手に入れてからの現代、そして、今はもう隣にいないキミの事。想像も届かない広大な空間や永遠に想いを馳せる事は、眼前の現実を受け容れる事に繋がっているのかも知れない。
最後に母なる海へと還っていく主人公。「二度と祈らない」と宣言し、大切な人を失くして思い知った『偽悪』を謳いながら水面へと飛び込む。深く深く沈んでいくとやがて無音に包まれ、自分自身の心音だけが海底に溶けていく・・・物語はエピローグ(ボーナストラック)へとコネクトされる。「高貴さは(義務)を強制する」という意味を持つ『ノブレス・オブリージュ(仏;noblesse oblige)』をモチーフとした「ノンブレス・オブリージュ」が始まる。息を止めることを強制されるような現代の息苦しさ=生き苦しさが赤裸々に吐露されていく。
このカバーにもHATEDの文脈が流れている。初音ミクが歌うピノキオピーによるオリジナルは、新たな世界へと踏み出す決意のようなブレス(深く息を吸い込む)音で終わる。しかし、今回のカバーには、その大事な音が入っていないのだ。しかし、元々、1曲目の「君が死んだ日の天気は」がブレスから始まっており、ループで聴くと初めてその息が(死が生と表裏一体であるように)終わりの始まりとして機能する。
ボーカロイドだからこそ表現できたはずの『死の冷ややかさ』と『人が歌うには余りに困難な旋律』。今回、十五少女が、表面張力のような瀬戸際の美しさで全編を謳い切った。十代の彼女たちが、あえて「死への嫌悪(HATED DEATH)」を真正面から歌う事に意味がある事は、この音源を聴けば伝わるはずだ。聴き手も、作り手も、歌い手も、皆、死にゆく人間だからこそ伝わる痛烈な何か・・・『死に対する非力さから生まれる強さ』のようなエンパシーがそこに在るからだ。
その上で『輪廻』という一縷の光が組み込まれた今作・・・月並みだが『終わりは始まりの合図』。いつだって十五少女が歌うのは、大仰なメッセージでも理想的な愛でもない。多様な時代を多感に生きる若者が日々感じる「言い様のない不安」や「行き場のない焦燥」など、その月並みな日常の非常に寄り添った『MICRO MUSIC』と呼ばれる些細な大事(オオゴト)だ。