CDデビュー25周年のKinKi Kids、常に“自然体”な2人の絆と円熟味を増す魅力

2022.6.17 20:00
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1997年に『硝子の少年』でデビューして以降、日本のチャートにおいて、シングル1位獲得最多連続年数といったギネス世界記録を保持するなど、現在も音楽シーンで存在感を示し続けているKinKi Kids。今年デビュー25周年の節目を迎える彼らは、7月と8月には、東京と大阪でドームコンサート『24451~君と僕の声~』の開催も決定しており、アニバーサリーイヤーが盛り上がりを見せている。本記事では、彼らが約25年もの間、長く活動を続けてこられた理由を考察したい。

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ヒット曲を多数持ち、アーティストとして最前線で走り続けてきたKinKi Kidsの2人だが、華々しい活躍の一方、提供された曲と歌いたい曲とのズレに悩んだ時期があるとテレビ番組の中で明かしたこともあった。そんな2人の意識を変えたのは、故・ジャニー喜多川氏の“自ら考えて行動し、セルフプロデュース能力を身に付ける”といった言葉だったそうで、そこから次第に楽曲制作を自らで手掛けるようになったという。中でも、作詞を堂本剛、作曲を堂本光一がそれぞれ務めた『愛のかたまり』『恋涙』が、2007年にリリースされたベストアルバム『39』に、ファンの投票により収録されていることなどからも、2人の音楽性が高い支持を得ていると言えるだろう。ステージで見せるパフォーマンスや華やかなルックスに加え、“アーティスト”としての価値を見出せたことは、KinKi Kidsにとって大きなポイントだったのではないだろうか。

また、山下達郎が作曲したデビュー曲『硝子の少年』の印象が強く残ったことも、方向性に悩む原因の1つだったとも明かしており、そんな時にリリースした楽曲『ボクの背中には羽根がある』の存在がターニングポイントになったという。光一はこの楽曲について、“民族楽器的な音をポップスに組み込むのを、ここから始めた”と振り返っている。その他にも、2017年に剛が突発性難聴を発症するといった、グループとしての危機を経験しながらも、2人は今なお精力的に活動を続けている。さまざまな楽曲との出会い、そして、自身らの状況に合わせながら、KinKi Kidsをセルフプロデュースして新たなカラーを作り上げていったことがうかがえる。

そうして音楽面でも試行錯誤を繰り返しながら、KinKi Kidsとして長い時間を共に過ごしてきた光一と剛。過去に出演した番組のインタビューでは、光一は、“KinKi Kidsはどのようなグループか?”という問いに、“自然体”というワードを出して答え、カメラが回っていないと、ほとんど会話もないと説明しつつ、そういった様子が、不仲や解散といった根拠のない憶測を呼んでしまうことがあると笑いまじりに明かしていた。別の番組でも、“グループを長く続けるための秘訣”については、「全然わからないです、何も考えないことじゃないですか?」「そうやって聞かれても、明言しないことじゃないですか?」と、それぞれが飾らない言葉で語っていた2人。あえて言葉にはしなくても、共に切磋琢磨してきた2人ならではの絆があるのだろう。

最近では、CDデビュー25周年を記念し、抽選・選考されたさまざまな企業のCMに“25円”で出演するという個性的なプロジェクトでも注目を集めたKinKi Kids。25周年のアニバーサリーイヤーを経て、さらに円熟味を増していくであろう彼らの活躍には、今後も注目が集まりそうだ。

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