SMAPが常に歩み続けた“第一人者”としての道とは。新しいアイドル像を切り拓いた彼らの偉大なる足跡を辿る

2016.12.27 12:25
SMAPが常に歩み続けた“第一人者”としての道とは。新しいアイドル像を切り拓いた彼らの偉大なる足跡を辿るサムネイル画像
©E-TALENTBANK

26日、SMAPの冠番組、フジテレビ系「SMAP×SMAP」が最終回を迎えた。

年内での解散を発表している彼らは21日に9月21日から2週間行ったファン投票で集まった約200万票を集計した上位50曲を収録したベスト・アルバム「SMAP 25 YEARS」を発表、また出演が噂されていた大晦日の「第67回NHK紅白歌合戦」への出演辞退を発表したばかりだ。

活動の最終章を迎えたグループの偉大な足跡

SMAPはジャニーズの王道アイドルとして順風満帆な歩みをしてきたグループではなかった。現在でこそ嵐やTOKIOを始めとするグループがアイドルとしての活動と、俳優業などアイドルとしての枠を超えた活動を両立させて、女性ファンだけでなく、親子二世代や男性などから幅広い支持を集めるジャニーズのグループとしての一般的スタイルとなっている。

しかし、それはあくまで“SMAP以後”の話だ。“時代を象徴するアイドルグループ”として、現在も強烈な輝きを放つ記憶に残るアイドル・光GENJIでさえもその活動期間は7年、全盛期はそれよりも短い。

SMAPがデビューした1991年はシングル売り上げ枚数TOP3に名前を連ねているのが小田和正、CHAGE&ASKA、KANという国内アーティスト全盛期。裏返せば“光GENJI以後”のアイドル氷河期時代に「Can’t Stop!! -LOVING-」でデビューしたSMAPは、ジャニーズとしては当たり前と言われていた「デビュー曲オリコン週間チャート初登場1位」を獲得できなかった数少ないグループとして芸能活動をスタートさせたことになる。

「バラエティ番組」「個人での活動」等、新しい方向性へと舵を切ったアイドルグループ

そんな状況からか、SMAPはデビューから半年後に大きな舵を切る。フジテレビ系のバラエティ番組「夢がMORI MORI」にレギュラー出演を果たすようになった。同番組で彼らがやったことは当時のアイドルのイメージを根底から覆す、コントのようなお笑い芸人たちが担当する活動だった。今でこそアイドルが体を張る光景は当たり前だが、当時のアイドルとしては革新的であった。このギャンブルは見事にハマり、SMAPは新たなファン層を獲得し、知名度を上げていく。

これを契機に、中居正広は香取慎吾、草なぎ剛と「SMAPのバラエティ班」を自認した活動でバラエティ番組への露出を増やしていき、その一方で木村拓哉、稲垣吾郎は「SMAPのドラマ班」としてフジテレビ系の人気ドラマ枠「月9」出演を果たす。また木村はTBS系で深夜に放送されていたトーク番組「カミングOUT!」でアイドルでなく、世代を代表するひとりの男性としての言葉を発信していくなど、メンバーは個人・グループ両方の知名度をそれぞれ獲得していった。

「がんばりましょう」はSMAPの飛ぶ鳥を落とす勢いを象徴する一曲

そんな彼らだが、人気を決定的なものにしたのは1994年に14作目のシングルとして発売された「がんばりましょう」だった。14作目にして2曲目となる週間チャート1位を獲得した同曲は、1995年に発表した初のベストアルバム「Cool」でもグループのアルバム最初の週間チャート1位を獲得、当時のグループの勢いを象徴する楽曲となった。

楽曲にサンプリングを用いるなど、王道アイドルの真逆を行くブラックミュージックのテイストを散りばめた「がんばりましょう」は、2016年を象徴するアーティストである星野源が「J-POPの歴史を変えた曲」として紹介したことも。星野は今年9月12日深夜放送のラジオ番組、ニッポン放送「星野源のオールナイトニッポン」で、同曲について「この曲、僕は本当に疲れたりとかしんどい時に聞いてすごく元気をいただきます」と語り「『仕事だからとりあえずがんばりましょう』という歌詞をアイドルの方々が歌い、そしてすごく楽しい曲であるという。その日から、J-POPが変わったと思います。ぜひ、聴いてください」と絶賛しているが、まさにその通り「J-POPの歴史を変えた曲」だ。

当時のグループの勢い、そしてそれとは矛盾するかのようなアイドルらしからぬ“力の抜け加減”を見事なまでに凝縮し詰め込んだ、この「がんばりましょう」以降、SMAPは現在に至るまで本来持っていたグループ、各メンバーのポテンシャルを最大限に発揮し続けることとなる。それは森且行の脱退やメンバーの不祥事〜活動自粛という壁が途中で立ちはだかってもなお、1996年の冠番組「SMAP×SMAP」の始動、また1998年の「夜空ノムコウ」、2000年の「らいおんハート」、2003年の「世界に一つだけの花」とヒット曲を次々に飛ばすスーパーグループへと変貌を遂げていくのは誰もが知る通りだ。

初期SMAPを支えた作詞家・森浩美氏から寄せられた温かいコメント

先述したベスト盤に関連してSMAPのデビュー曲「Can’t Stop!! -LOVING-」を担当し、その後も「オリジナル スマイル」や「青いイナズマ」「SHAKE」など、初期SMAPにおける数多のヒット曲の作詞を手がけてきた作詞家の森浩美氏が自身のFacebook上でSMAPと楽曲への想いを明かしている。Facebookには、女性誌から取材を受けた感想と綴っており、「『功労者』『御大』『神様』という言葉が並び、なんとも気恥ずかしい…というより、ちょっと苦笑です」と謙遜する。

同アルバムには、森氏が作詞した楽曲は8曲が入っているが、ファン投票の結果に関して「個人的には『笑顔のゲンキ』が50位に入ってくれたことが嬉しかったですね」と自身が作詞したSMAP5枚目のシングル曲が入っていたことに喜ぶ。同曲の歌詞の魅力については「『赤いリボンもキリリっと』っていうメロディーへの載せ方が作詞家として気に入っているんです」と解説した。

また、森氏の作詞した「オリジナル スマイル」は1994年に発売された13作目のシングル曲だが、3月11日に東日本大震災が発生して1週間が経過した3月18日、SMAPの木村拓哉が自身のラジオ番組、TOKYO FM「WHAT’S UP SMAP!」で被災地への思いを込めて「がんばりましょう」や「オリジナル スマイル」を流したことから、現在は震災のときの応援歌としても人々を勇気付けたことで知られるようになっている。

「オリジナル スマイル」はその後も、被災地のファンに勇気を与え続け、2011年8月17日に、ファンからリクエストを募って収録曲を決定したSMAPのアルバム「SMAP AID」で「みんなを勇気づける曲」ファン投票1位に選ばれた。現状、最後に5人揃って“SMAP楽曲”を歌う機会となった3月12日放送のNHK総合「震災から5年“明日へ”コンサート」では、福島県会津若松市から同曲を披露するなど、ファンにとっては印象深い曲となっている。

「SMAP×SMAP」最終回での“ラスト”歌唱は「世界で一つだけの花」

昨日最終回を迎えた「SMAP×SMAP」でも5人が洋邦問わず豪華アーティストと共演するライブコーナー「S-Live」に象徴されるような“5人が歌っている姿”が森氏の中にも強く印象にあるようで、前述した女性誌の取材では「願わくば、80才になっても歌い続ける彼らの姿を見たかった。寂しいなぁ…」と気持ちを明かす場面もあった。

SMAP×SMAP」ではメンバーによる「世界で一つだけの花」の“ラスト”歌唱が大きな話題となったが、これが本当のラストになるのか、ファンはその先を注目している。

関連ワード

web:172.30.1.100